ブログ

ブログトップ > がんと命の道しるべ 余命宣告の向こう側

カレンダー

2024年11月
« 9月    
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  

最近のブログ記事

カテゴリー

月別アーカイブ

  • 2024 (22)
  • 2023 (31)
  • 2022 (31)
  • 2021 (50)
  • 2020 (50)
  • 2019 (42)
  • 2018 (87)
  • 2017 (139)

がんと命の道しるべ 余命宣告の向こう側

『がんと命の道しるべ 余命宣告の向こう側 新城拓也 日本評論社』

無題

新城先生のご著書はどれも、訪問診療医がどのように生きていけばよいのかの指針を与えてくれます。また、文章から、患者さんに真摯に向き合っている姿勢が伝わってきます。

この本も、ところどころにハッとさせられる文章がちりばめられています。私が気になった文章を抜粋してみます。

p23 健康で力のある私たち医療者は、時に大きな力で患者の苦悩を解決しようとしてしまう。また、医療者は他人の人生、運命に不当な干渉をしてしまう傾向もある。しかし、本来患者の苦悩は、彼ら自身の大事な人生の課題だ。彼らの課題を奪うことなく、じっくりと苦悩することが出来る環境をさりげなく整えることが、医療者の役割なのだ。患者がしっかり課題に取り組むことができるように肉体の痛みをとり、清潔な環境と身なりを整え、そして静かな時間を用意する。決して、医療者自身が何か妙案で彼らの苦悩を解決しようとしてはいけない。

自分が癌にならなければ、患者さんの気持ちは本質的には分からないと思います。医療者が何かを教えるなどということは、おこがましいことであると考えています。医療者ができることは、薬などを利用して痛みなく穏やかに過ごしてもらえるようにすること。それもできない場合は、そばにいること、ぐらいだと思います。

p107 ホスピスでは、医師と看護師がきちんと時間を決めて集まり、そのカンファレンスの場で患者のことを話し合うようにした。それぞれが思いついた時に、ところ構わず口々に相談するのではなく、きちんと話し合う機会をもつようにした。…そして普段自分が感じている、カルテにも書かないようなことまで含めて話し合うようにした。私が患者に接している時に何を感じているのか、何をつらいと感じたのか。…自分の強すぎる責任感に、自分がつぶされそうになっていた。問題を周囲とシェアし、同僚に相談できるようになってから、徐々に自分を取り戻すことができた。

当院では、毎日カンファレンスをしています。また、医師2人で患者さんを診ており、気になる患者さんについては日常的に議論しています。普段は意識していませんでしたが、そのことが一人で抱えこまないことにつながり、ひいては良い方向に向かっているような気がします。

p110~112 長くホスピスで仕事を経験していた私は、どの患者とも「特別な一日」があるということを知っていた。…本当に些細な呼び出しから、苦痛をともないすぐに駆けつけなければならない事態まで状況はさまざまだ。とくかくその「特別な一日」を丁寧に対応し、患者や家族と過ごすと、その後の時間の流れ方が全く変わる。お互いの心がつながる特別な感覚にいつも心が震える。医者と患者という立場を超えた人間同士のたしかなつながりが、「特別な一日」には生まれるのだ。

たしかに、今ままで意識したことはありませんでしたが、亡くなった患者さんとの関係を振り返ってみると、「特別な一日」となった日があったと思います。その日を逃さないように感覚を研ぎ澄ましていきたいと思います。

p146 「住み慣れた自宅で最期まで過ごす」「家族に囲まれて最期の時を過ごす」といった美辞麗句は、やはり死のもつ本質的な真実を覆い隠そうとしているように思える。それでもなお、恐怖と怯えを乗り越えて、自宅で最期を迎えたいと望む患者と、最期を自宅で看取りたいという家族を、私は支え続けている。

「家で最期を迎えることは幸せである」というような単純なことでないことは確かです。家で最期を迎えるまでには、患者さんやご家族の様々な葛藤があるのです。

p186 先天性疾患を抱えた子どもの育児を通じて、私の仕事の仕方はずいぶん変わっていった。「治らない病気がある」という医療の限界を知り、診断・治療を柱とした医学では支えきれないことに意識的になった。ケアの重要性、とくに身体のケアの仕方を、医療者が患者・家族に教えていくことを大切に考えるようになった。患者の生活を支援するとはどういうことなのかを追求することになり、「治らない病気になった」患者にどう向き合い、彼らにどう説明すればよいのかを模索した。こんな心境の自分にとって、がん患者に対する治療としての緩和ケアは、一つの希望となった。治らない患者に何をすべきなのか、がんを告知するにはどうしたらよいのかは、自分自身の苦悩と同一平面上にあった。

新城先生がなぜ緩和ケア医になったのかについても書かれています。自身の経験から、ケアを担う人のケアをどうするのかまで考えていらしゃるようです。

p194 二四時間対応について…ゴルフ、ウインドサーフィン、スキー、ハングライダーは向かない趣味だと思う。反対に、庭・ベランダ園芸、盆栽、プラモデル、パソコン、ブログは二四時間対応に向いた良い趣味だ。

すぐに患者宅に駆けつけるには、遠出を必要としない、どちらかというとインドアな趣味をもつに限ります。とはいっても盆栽は今後もしないとは思いますが…。ちなみに、開業前にいろいろとアドバイスをもらいお世話になったI先生は、訪問診療をしながらサーフィンもするというすごい先生でした。

p196 自分のプライベートを犠牲にして駆けつけた時…相手に「ありがとう」と言ってもらうだけで、自分の生活の一部を差し出したことが十分に報われる。「ありがとう」と言われた途端、負担に感じていた心は晴れて、むしろ、自分が相手にとって大事な存在であること、自分の一挙一動が相手にとって光明になっていることをはっきりと感じる。つまり、相手を通じて自分の存在の意義をはっきりと意識するのだ。この実感が医師にとっては大きな力になる。

夜間の往診は大変ですが、このように考えれば頑張れます!

(投稿者:斉藤 揚三)