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「スーパーボランティア」尾畠春夫さんに学ぶ

宮城県医師会報の「盛夏随想特集」に執筆を依頼され、以下の文章を寄稿しました。

「スーパーボランティア」尾畠春夫さんに学ぶ

         斉藤 群大 (栗原市医師会 令和クリニック副院長)

少し前の話になりますが、2018年8月12日、山口県周防大島町で2歳の男児が行方不明になりました(正確には行方不明中の8月13日に2歳の誕生日を迎えました)。お盆のため曾祖父宅に帰省中のできごとで、その曾祖父と海岸に行く途中にはぐれたとのことです。警察や地元消防団などによる延べ550人、2日がかりの捜索でも見つからず、母親も「生きて会えるとは思わなかった」と半ば諦めていたと言います。ところが、15日の早朝、大分県から来た尾畠春夫さんという78歳の男性がボランティアとして捜索に加わり、捜索開始後わずか30分足らずで発見し、家族のもとに自ら送り届けるという手柄を立てました。その衝撃的なニュースの後、彼の生き方や、数々のボランティアの功績がメディアに大きく取り上げられ、「スーパーボランティア」と称されて一躍時の人となりました。

ことさら話を盛りがちなワイドショーなどは彼を神様のように崇め奉って賞賛してみたり、あるいは逆に、道端に生えている野草を茹でて食べるという食生活や、どこでも眠れるように普段からゴザの上に寝る、ボランティア中は風呂もシャワーも浴びないという特異な生活スタイルを紹介して、彼を半ば奇人変人のように扱って面白がってみたり、視聴率を稼ぐにはもってこいの人物を見つけて喜んでいるようでした。しかし、月額5万5千円の年金をボランティアの活動資金に充て、「対価、物品、飲食は絶対頂かない」「助ける相手側からは力を借りない」と言った信条を頑なに守り、「社会に恩返しをする」という目的のために黙々とボランティアに打ち込むという彼の生き方は、多くの人々の胸を打ったのだと思います。だからこそ、本人が全く望んでいないにもかかわらず、半年以上もテレビで騒がれ続けたのでしょう。私も彼の生き様に心を動かされた一人で、名声を求めるわけでなく、日々、地道なボランティア活動を続ける姿に、江戸時代初期の陽明学者「仲江藤樹」を思い起こさずにはいられませんでした。

仲江藤樹は、内村鑑三の著書『代表的日本人』で紹介されていますが、彼もまた名声を好まず、せまい近所の人々にしか知られないまま黙々と地道な生涯を送る予定でした。しかし、その聖人たる生き方、聖人の教えがたまたま近くを通りかかった熊沢蕃山の耳に入り、彼に乞われてしぶしぶ師となったことで、本人の意に反して今日の我々も知り得る存在となったのです。その藤樹は「積善」について次のように述べています。

「人は誰でも悪名を嫌い、名声を好む。小善が積もらなければ名はあらわれないが、小人は小善のことを考えない。だが、君子は、日々自分に訪れる小善をゆるがせにしない。大善も出会えば行う。ただ求めようとしないだけである。大善は少なく小善は多い。大善は名声をもたらすが小善は徳をもたらす。世の人は、名を好むために大善を求める。しかしながら名のためになされるならば、いかなる大善も小さくなる。君子は多くの小善から徳をもたらす。実に徳にまさる善事はない。徳はあらゆる大善の源である。」

尾畠さんの例で言えば、行方不明児の捜索でたまたま大善をなし、名声を上げましたが、むしろそれ以前に、人知れず日々地道なボランティアを続けていたという事実こそ、すなわち小善を積むこと、徳をもたらすこと、大善の源であったと言うことになるのでしょう。

また藤樹は「学者」について、次のように述べています。

「学者とは、徳によって与えられる名であって、学識によるのではない。学識は学才であって、生まれつきその才能をもつ人が、学者になることは困難ではない。しかし、いかに学識に秀でていても、徳を欠くなら学者ではない。学識があるだけのただの人である。無学の人でも徳を具えた人は、ただの人ではない。学識はないが学者である。」

尾畠さんは小学校5年生で奉公に出され、中学校も4ヶ月しか通えなかったそうです。78歳時点での将来の夢は「夜間の高校に行って勉強したい」と言っていることからも、まさに「無学の人」と言えます。しかし藤樹の教えを読み返してみると、尾畠さんこそ真の「学者」であることが分かります。

その尾畠さんは活動時に注意すべきこととしてこう言っています。

「ボランティア時には言動すべてに気をつける必要がある。暑いとは絶対に言わない。自分が被災者であったならば、どう思うのか。ボランティアさせていただいているという立場を忘れてはいけない。赤い服を着用し背中に大きく名を書くのは、被災している人は身元がわかるほうが安心するから。黙っていると怖いと思われるので、よく話すこと。すべては安心感をもってもらうためである。」

真の「学者」であって、何の対価ももらっていない尾畠さんですらこれほど謙虚なのです。一方、我々医師の多くは、単に大学で医学を学び、医師免許を取得したというだけの、つまりは多少の学識があるだけの「ただの人」に過ぎないにもかかわらず、また十分な対価を頂いているにもかかわらず、日ごろ「先生」などと呼ばれてちやほやされ、得てして「診てやっている」という傲慢な意識や態度になりがちです。自分自身を顧みても、患者や家族の立場に立って診療をしているか、「忙しい」「疲れた」などと愚痴を言っていないか、相手に安心してもらうために身なりや態度、言動に注意をしているかなど、反省すべきことが次々と湧いてきて、尾畠さんのような「学者」になるには、まだまだ「積善」が足りないと痛感させられた次第です。

投稿者:斉藤 群大