『すべての教育は「洗脳」である』(堀江貴文、光文社新書)
2017.04.15
『すべての教育は「洗脳」である』(堀江貴文、光文社新書)を読了しました。
学校は使いやすい労働者を大量生産するための洗脳機関であり、学校はいらないという過激な事が書いてあります。それは、インターネットが普及し、国境の壁を感じなくなってきたことで、国民国家という幻想が崩壊し、国民の養成機関としての学校に価値がなくなってきたという理屈です。私はこの点には反対で、グローバリズムが加速するからこそ、逆に世界では国を強く意識するようになっているのではないかと思います。洗脳という言葉を使っているのは、教師の言うことに盲従するのではなく、自分の頭で考えなければならないということでだと思います。
学びの本質は「没頭する力」にあると堀江氏は言います。没頭する力はだれにでも備わっていて、特に子供は没頭する達人であると。それが、学校や家庭で、やりたいことを我慢するように洗脳され、没頭することができなくなっていると。確かに、自分の好きなことに没頭している人が、一番強いと思います。
また、今後、AIが発達し、生きるために必要な作業はほとんど機械がやってくれる時代がやってきた時に、人間は遊ぶことしかすることがなく、遊びを極めることが未来の仕事につながると言います。
そもそも「遊ぶ」「働く」「学ぶ」は三位一体のもので、分けるものではないと。つまり遊んでいることが仕事にもつながり、学ぶことにもつながるということです。
子供のように純粋な気持ちで遊びに没頭できる人がこれからの時代で生き残っていけるのかもしれません。
―寝食を忘れるくらい何かに没頭してみよう。そこからあたらしい道が開けてくる―
という一文が本書の最大のメッセージと捉えました。
(投稿者:斉藤 揚三)
カテゴリー:書評